(注)、このコーナーでの回答内容は、個人が経験的に得た知識と石原説を元に書いたもので、医師や色覚異常を扱う専門家によるものでは有りません。また、個人情報に類する内容は外し、メールにて返答した方に了解を得て Q & A として掲載しています。
Q.1
現在、学校での色覚検診は事実上行われていませんが、自分の色覚特性を知らないまま大人になった時に何か問題は起こりうるでしょうか。知っていればよかったというような事態は何か考えられますか?
A.
(赤緑)色覚異常者が、この世界から感じ取っている色の世界と、正常者が感ずることの出来る色の世界は、明らかに違うことを、たとえそれを経験で知ることが出来ないとしても、「石原説」を通し、当事者、関係方々は十分に理解するべきではないでしょうか?
赤緑異常は原色(感覚)である■赤と■緑の色を、正常者と比較すると「暗い色として見えている。(明瞭な色として感ずることが出来ていない)」事を先に理解するべきで、特に瞬間的な色の変化には色覚異常者は、殆どの場合、対応できずに正常者より反応が遅くなります。
暗所では正常者でも色を判別するには時間がかかりますが、赤緑異常者は、
■赤と
■緑の色を常に暗所で見ているような状態と考えられ、色の誤認や急な色の判断が出来ないことを理解するべきと思います。
例として、
■ダークグリーン(深緑)の自動車は走っているときでも正常者には、はっきりと眼に写るのに、赤緑色覚異常者には、瞬間的には
黒か
ダークグレー位にしか見えてなく、止まっているその車を見てやっとその色を認識できると言うのが現実です。また、細い
■赤ボールペンの文字を
黒と勘違いするのも暗所でその色を見ているような感覚であるからです。
正常者の眼に
■赤と
■緑の色をさえぎるフィルターをかけたようなものと理解すれば納得できるのではないでしょうか?
また、アノマロスコープの原理や石原表(石原説)からも分かるように、正常者より赤緑異常者は、
■赤と
■緑を暗く見ている分、
■青■黄が強く見えている為、それによる色の誤認も考慮するべきと考えます。
(赤緑)色覚異常者が検査をしないまま大人になったとしても本人は薄々、何か他の人とは見え方が違う事(色を見分けるのに時間がかかる等)を感じ取っているとは思いますが、色覚異常者が自分の色覚特性を十分知っていることは現代に生きる者としては必要な事と私は考えます。
「石原説」ウェブサイト5ページ
(参照)にあるような交通事故による死亡事故の件、赤緑色覚異常者が三倍もの危険度がある事は予想できる範囲の事で

あり、職業選択時の制限は、ある意味、仕方のない事なのだとも思えます。
「警察官や交通関係者に色覚異常は不的確」と言うのも、そのような瞬間的な色の変化には色覚異常者は殆どの場合対応できていない事が十分考えられるからです。
Q.2
石原説ではなく、現在の定説を前提として、貴方は学校での色覚検査はどうあるべきだ、あるいはどうあってほしいと思われますか?
A.
普通の病であるなら、異常と診断されたら、何らかの処置をその後、医師より受けるのが、道理ですが、(赤緑)色覚異常には、そのような事は殆ど無く、「異常」というレッテルだけがその後のその人の人生にについて回る、そのような不思議さが(赤緑)色覚異常にはある(あった)と私は思っています。
治療を前提としない色覚検査(現在の定説を前提とした検査)を石原表を用いて学校等で行う事は、根本的な色覚理論が現代医学と石原説では違いがあり、石原表で、異常と診断された当事者を、現代医学の理論(石原表開発以前の色覚理論?)で説明しようとしても、本質的な見え方についての説明がうまく出来ず、それを飛び越して、(定説による)色覚異常の分類と遺伝の話になってしまう何とも不思議な医療が本人や関係者に行われているように思えます。そこに医療現場、当事者、家族の混乱があり、殆どの方がその事に気付いてさえいないのではないでしょうか?
石原表を用いた色覚検査は、検査後のアフタケアーこそ大切で(治療、訓練がベストですが…)、どうしてこの表を読むことが出来なかったのかを、「石原説」を用いて本人及び家族、関係者に納得してもらい、普段の生活上での諸注意、それと、当事者の将来に対する人生設計もある程度、明確にできるものとなると考えます。
Q.3
学校での色覚検診廃止は本当の解決になっていないということになるのでしょうか。
A.
色覚異常に関係する諸説に「遺伝だから治療できない。職業上の制約は差別問題だ。」と現在、多くの方が言っておられますが、色覚異常の本質を理解すれば、それらの言葉が根本的な解決方法ではないと分かるのではないでしょうか? 学校での色覚検診廃止も(遺伝による)見え方の個性、差別などとしている理由から同様な事柄と考えます。
また、「差別撤回、ノーマライゼーション、バリアフリー」等の社会運動的な活動で解決を図ろうとする大本の原因も、ここに有るのではないでしょうか?
石原先生が指摘しているように、赤緑色覚異常は遺伝性の発育不全であり(石原説から視神経の感覚異常、あるいは機能不全と理解できる)、現代医学が指摘する様な網膜の欠損を伴う病では殆どの場合無く、適切な刺激療法、訓練リハビリで大概は機能回復出来てしまうと考えられます。
(医学的にもその方が適切な考え方ではないでしょうか?
(参照1) (参照2))
遺伝子に問題がないわけではないが、殆ど正常者と同様な色覚機能がその人に、もたらせられるのなら当事者、社会は何一つ障害が無くなってしまうのです。
■紅葉の燃えるような
赤、
■新緑、若葉から感ずる生命の息吹。生涯それを色覚異常者の殆どの人は正常者程には感じ取ることは出来ていないと思えます。
石原表が、世に問うた本当の意義とは何だったのだろうか?現在の色覚医療は、石原先生の石原表開発の原点からは、かなりズレたものとなっている。現代の、科学医療技術の目まぐるしい発展を目の当たりに、色覚医療だけは、石原先生の時代から、一歩たりとも、その発展が無いと言っても言い過ぎでは無いだろう。
色覚問題。もう一度、原点に帰り、その本質から理解しなければ、これから先も同じ事を同じ様に色覚医療は繰り返して行うだけとなるのでは

無いだろうか?色覚問題は非常にデリケートな問題となっている事も理解しているつもりです。誰かに相談してみても納得出来る回答が得られない当事者、家族、関係者の心を少しでも解いてあげることが出来るのなら、このウェブサイトも「何らかの意味がある」と思っています。
色覚問題は、歴史的に見て現在でも非常に複雑なところがあります。日本の医学界は、今も色覚治療を殆どの場合、否定する立場である事。
マスコミも、過去には「肯定派」もありましたが、「否定派」あるいは「感知しない派?」が現在では殆どではないでしょうか?
東洋医学(良導絡など)の世界では、現在、一部の治療院で色覚機能の回復訓練(治療)が行われいるようです。しかし、鍼灸師(医院)によって施術に幅があると思われる事。色覚訓練(治療)を専門としていたクリニックが2001年に(裁判等の影響によって)一時閉院された事等、医療として色覚異常を考えたとき、いくつかの問題があると思います。
更に、「
石原説」のような色覚異常を扱った理論的な解説が、なぜか?紹介されていない事。これでは、「色覚異常の本質を理解し、研究することができないし、患者に対しては的確な診断、アドバイスができていない。また、色覚異常を”見え方の個性(病気ではない)”などと言われることの原因がここにある」と思えます。「医療としての基礎的な何かの不足が現在の諸問題の根本にある」と感じます。
現在の色覚医療は、治療と言うより「ノーマライゼーション」等の言葉が示すように色覚障害を持つ人をどの様に社会が認知するか、あるいは、個人が自覚するかと言うことに重点がある事。また、上部団体等の指導により、学校、社会での差別こそ諸悪の根元として行政による、学校での色覚検査が、事実上、廃止状態である事。
それとは逆に、就職試験などでは、たとえ、学校での門戸の解放が行われていても、色覚異常である事による職種制限は、緩和される方向ではあるが、現実的には無くなることが無い事。
交通事故など、色覚異常によって起こる可能性のあるトラブルに対する統計的なデータそのものが無い事、また、その対策が曖昧なものでしかない場合が多い事等です。
それら多くの問題をかかえる「色覚問題」に一個人として、調べ、考え、経験し、そして、行き着いた結論がこの「石原説」のウェブサイトです。サイト開設当初、メールアドレスの公開を控えていましたが、ウェブサイトとしての在り方を考えると、それは、「やはり本来の姿ではない。」と考えるに至り、遅ればせながらアドレスの公開をさせてもらいました。
(掲示板等の利用も考えられますが、個人として運営するには、かなりの負担が予想されるため、今のところ考えていません。申し訳ありません。)
私自身、発言に対しては慎重で有りたいと思っています。内容によっては、メールによる返信が難しい場合も有ると思います。自分の本意をどの辺まで書くことが許されることなのか、いろいろ試行錯誤の状態です。結果は「Q&Aのような形でサイトに反映できれば…」などと考えています。突発的な要因により休止するなどの処置をとることも考えられます。その点、十分ご理解くださいますようよろしくお願いいたします。
2011.01.02 「石原説」ウェブサイト管理者 (色弱49号) |
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