「
石原説」(
参照)を理解するために、例えを交えて説明すると、
人間の「遺伝情報」とは、機械で言う「設計図」のようなものではないでしょうか?
機械は、設計図に書いてあることを順序よく組み立てることによって出来上がります。人間の体も同じ理屈で、「遺伝情報」からの指示によって規則性をもって人間の細胞組織が出来上がっていくものと考えられます。石原先生は、説の中で、そのことを色覚異常発生のメカニズムとして説明されています。(先天的色覚異常を統計的に見ると、99%以上が赤緑異常ですので、それを例に説明すると…)
光 の 三 原 色 図 |
|
→ | 色 | 覚 の 発 | 育 | → |
| | (青) | — | (青) |
無色 | < | | | (緑) |
: | | (黄) | < | |
: | | : | | (赤) |
: | | : | | : |
全色盲 | | 赤緑異常 | | 健常色覚 |
遺伝情報からの指示が的確である場合(正常な色覚遺伝子を持っている人の場合)は、
明暗(白黒)だけが見える状態から、
無色(白)が
■青■黄として感じる細胞組織に分化し、その
■黄が更に分化して
■赤と
■緑も感じることが出来るようになる。そして
■青■赤■緑の三原色がそろうことによって正常な色覚になるのですが、赤緑異常は遺伝情報からの指示が不的確となり、
■青■黄分化後の、
■黄から
■赤■緑への分化が不完全なままになってしまう
「色覚の発育不全」として説明しています。そして、その不完全さの度合いによって(赤緑)
色盲になったり(赤緑)
色弱になったりするとしています。
機械を組み立てるには、ある一定の時間がかかります。また、設計図などによる規則性が必要です。人間の体も同様で、遺伝情報から、体を作り上げるには、遺伝情報からの指示(規則性)、と時間が必要です。その
時間性、規則性と発育のことを、色覚異常発生のメカニズムとして説明しているのが「石原説」です。
機 械 の 組 み 立 て | 人 の 色 覚 の 発 育 |
設計図(組立図)の指示に従い組み立てると機械は出来上がる | 遺伝情報(遺伝子)からの指示で人の(色覚)細胞組織は規則性をもって発育する |
設計図の指示で順序よく正確に組み立てると動く機械となる | 遺伝情報らの指示で無色が青黄に分化,更に黄が赤緑に分化し正常色覚となる |
設計図の不正確で組み立てると動きの悪い機械となる | 遺伝情報の指示が不的確となり黄から赤緑への分化が不完全で赤緑異常となる |
「石原説」で色覚異常のメカニズムを考えると、
なぜ、赤緑異常だけが多くて他の異常が希にしかないのか?なぜ、色覚異常者(赤緑異常)でも■青■黄に対する見え方は正常色覚者と同等以上に見えているのか?それらを直感的に理解できる説明になります。色覚異常の原因を(人体の設計図とも言われる)遺伝子と、それを原因とした(再生不可とする)眼の網膜錐体細胞の欠損(色盲)あるいは機能不全(色弱)であると主張する現代医学の解説では、「石原説」のように納得できる(説得力のある)メカニズムの説明を見たことのない私には、「これしかない!」と思うのですがいかがでしょうか?
「
この説明(石原説)では、第一異常(■赤異常)と第二異常(■緑異常)の区別がつかないではないか。」と反論される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この区分、実はかなり境界線が曖昧であることは、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
「石原説」が正しいとすれば、境界が曖昧になる事も納得できる説明になります。(この件に関しては、
補色残像、二極性と四つの原色 の項が参考になると思います。)
アノマロスコープ(
参照)による精密な色覚検査で「
第一異常です」「
第二異常です」と医師より診断を受けたところで、私は、現実的にはあまり意味のないことと思っています。
第一異常、第二異常とも■赤と■緑に対する色覚の感度は、色覚正常者より劣っていると考えてよく、どちらがより見えにくいかによって区分しているにすぎないと考えられるからです。「学術的な意味があるのかもしれませんが、それ以上のものではない。」と私には思えます。ただ、見え方に全く違いが無いと思われるといけませんので特徴を
別ページでまとめてみました。
また、「
二色型」「
三色型」と言った区分も、
■黄から
■赤■緑への分化の、どの段階で発育不完全になったかで、説明が付く事と考えられます。「二色型」の方がどちらかと言えば発育の不完全度が大きい強度異常と考えられます。
下記の表参照 色覚検査表序文にもあるように旧来言われている、「(赤緑)色盲」と「(赤緑)色弱」の区分と考えられると思います。「第一(赤)異常」、「第二(緑)異常」同様、「二色型」、「三色型」の境界線も曖昧と考えられます。
(現代医学では、色覚異常を「三原色説」を元にした理論で説明されているため、このような区分、呼び方となっているのではないでしょうか?)
疑問として、現代医学で「二色型色覚」と言う場合、
■赤錐体の欠損、あるいは
■緑錐体の欠損、(もしくは
■青錐体の欠損?)による「二色視」との見解で説明されていますが、(赤緑)色覚異常者(二色型、三色型色覚者)が現実に見ている
■赤■緑の見え方より
■青■黄が強く見えたアンバランスな世界を現代医学ではどのように説明されているのでしょうか? (
参照)
色覚異常が遺伝によって発症するとしても、兄弟共、色覚異常であってもその程度に、ばらつきがある事が多いこと。また遺伝によって生まれつき眼の網膜にある視細胞の一種が奇形あるいは欠如している状態であると言う事例は、かなり希にしかないこと(血族結婚による
全色盲など。色覚異常者数万人集めても、いるかいないかの確率にすぎない)などを考えても、発育不全ととらえ主張された石原先生の説は、理にかなったものであると考えられます。
更に、「石原説」の中で説明されている「
全色盲」や「
全色弱」の概念について考えると、同じ色覚異常であっても、
赤緑異常とは段階的なレベルに違いがある事がはっきり理解できると思います。「全色盲」は、色覚発育の前段階での視細胞の発育不全(欠如)による見え方の症状であり、「全色弱」は、発育の第2期、
■青■黄の分化の不完全からの発育不全の症状と考えられます。「全色弱」は、「全色盲」と比較すると、色覚の識別能力が残存している状態と考えられると思います。「全色弱」、「全色盲」ともきわめて稀にしかないことも納得できる説明になります。
私的な感想として、「石原説」を通して色覚異常を見てみると現代医学の解説では、理解しづらい(よく分からない)色覚の病状の違いが、はっきりと理解できるように思えます。また、色覚健常者と異常者、お互いが見え方の違いを、たやすくイメージできるようにも思えます。(「画家のゴッホは、色覚異常ではなかったのか?」という記事をネット上でもときどき見かけますが、色使いの様子から考えて、その意見には、個人的に納得できるものがあります。)
「石原説」から考える色覚異常の概念とは、現代医学のように「見え方の特性(個性)に過ぎない」としているのではなく、「疾病、疾患」としてとらえていることではないでしょうか。
原因を遺伝性の発育不全とし、色覚の発育過程を色覚説を用いた仮説として示し、その(病的な症状あるいは)傾向を明らかにしていると言えると思います。
現在言われている「色覚不変説あるいは、不治説」?は果たして本当に正しいのか?「石原説」と比較すると(発生のメカニズムに関して)理論的にもかなり怪しいもののように私には見えます。
「石原説」(色覚異常の発育不全説)が、現在、眼科などの専門家の間であまり支持されてきてない現実を当事者はどう考えればいいのでしょうか。…
先生の存命中には出来なかった「色覚治療」。その意志は、後の医学へと継承となるのですが…。
石原式色覚検査表による、色覚検査の是非(「差別を助長する」などの批判的内容)を論ずるページはネット上にも多くありますが、石原式色覚検査表の理論や、なぜ石原表が世界的に受け入れられていったのかを説明されたページはあまり無いように思いますので、ほとんど須田先生の書かれた「石原忍の生涯」という書物の受け売りになると思いますが書いてみたいと思います。
先ず、石原表が世にでる前の検査にはどの様なものがあったのかと言うと、代表的なものにスチルリング仮性同色表というものがありましたが、検査において、軽い色弱者に読めないような文字であれば、健常者にも読みにくくなるという欠点があり、健常者と色弱者をはっきりと、ふるい分け(スクリーニング)することが困難であったといわれています。
その点、石原表はどうかというと、健常者には明瞭に読めても色弱の人には読めなくなるようなある工夫がしてあり、健常者との区分けにおいては、今までにあった、どの検査(スクリーニング)より優れていて、その能力を発揮するものといわれています。(この辺が、石原表の特徴ではありますが、そのことが、差別につながるとの批判の大本ではないかと思われます。)
先ず、ある工夫とは、どの様な事かというと、赤緑異常者にはよく見えないとされる
■赤と
■緑の他に、
■青と
■黄を使った事にあります。
■青と
■黄は赤緑異常者には最も鮮明に見える色であるため、
■青と
■黄を入れておくと色覚異常者には
■赤と
■緑の色の差が、かなりあっても分からなくなる。検査表の中に
■青とか
■黄とかいう強い色を入れておくと、それが邪魔になって
■赤と
■緑の差が相当あっても色覚異常者には気がつかない。しかし健常者には
■赤と
■緑は見やすい色なので容易に読みとる事ができる。
これと同じようにして
■赤■緑の色と
■青■黄の色との関係が逆にすると、反対に色覚異常者には容易に読めるが、健常者にはあまり気がつかない。(容易には読めない表ができる。)また、
■赤■緑■青■黄の四色を使うと健常者には
■赤と
■緑が際だって見えるが、色覚異常者には
■青と
■黄が目立って見えることで一つの表によって異なった字を読むことができる。つまり健常者と異常者の色覚の差がはっきり分かる事になる。
また、軽い色覚異常者は、彩度の高い個々の色を識別することは、必ずしも難しいことではなく、そのため、自分では異常であることを認識していない事がある。しかし、そのような人でも、石原表によって確実に検出されてしまう。従って、職業上の適性検査の場合などには「石原表は鋭敏すぎる」というような意見も出てくる。(それはむしろスクリーニングの優秀性を示すものともいえる事ではあるが・・・。)
石原先生自身は「分類表(石原式色覚異常検査表)は正確とはいえない」といい、別なところでは「なきにまさる」とも言っておられるようです。
(「石原忍の生涯」P.97〜99より引用)
ここまで説明すると、殆どの方がお気づきと思いますが、
「石原式色覚検査表」自体、このウェブサイトの主題である
「石原説」を理論的な根拠としている事を理解することができます。
この章の最後に、どの様な形で、石原式色覚検査表が普及していったかを書きますと、1916年(大正5年)陸軍の軍医であった石原先生が徴兵検査用に作ったことが始まりのようです。その後、日本より西洋諸外国でその優秀性が認められ、1933年(昭和8年)の第14回国際眼科学会で一般に身体検査の際に使用すべきものとして推薦され、その後、日本では、学校、保健所、各種研究機関で用いられるようになり、全国に普及したようです。
※青空文庫 「色盲検査表の話 石原忍」 へのリンク。
色盲検査表の話 石原忍 (2014.01.19追加)